海外研修リポート 武田 芽衣さん(2012年度海外研修員)

自分の意思をしっかり持って
伝えていくということ

氏名

武田 芽衣さん

所属楽団

札幌交響楽団

楽器

チェロ

研修年度

2012年度

研修先

ミュンヘン/ドイツ

指導者

ウェン=シン・ヤン(ミュウヘン音楽大学副学長)

「あなたのもとへ留学したい!」と猛アタック!

応募のきっかけは?

私は小さいころから練習漬けの毎日で育ちましたが、オーケストラ入団後も忙しい毎日をこなしていくうちに、気づけば心から音楽を楽しめなくなっている自分がいました。私は何のために弾いているのか? そんなとき、団員をはじめとしたさまざまな方々に「留学しなさい」と後押ししていただきました。

師であるウェン=シン・ヤン氏との出会いについて聞かせてください。

先生とは、そんなときに参加した「アフィニス夏の音楽祭」で出会いました。本当に心も体も大きな(笑)、大変素晴らしいお人柄で……。個人レッスンをお願いして「あなたのもとへ留学したい!」と猛アタック! すぐに「いいよ!」とお返事をいただきました。

そして、海外研修がスタートしたのですね。

ミュンヘンに着いて、まず最初にウェン=シン・ヤン氏に言われたことがあります。「練習も大切だけど、ここでの生活と文化、空気をたくさん吸って、たくさん旅もして、演奏会を聴いて、とにかくこの1年間を楽しみなさい。あなたはそのために来たんでしょ?」と。その言葉通り、毎日が本当に刺激的でした。

ドイツにいる間に耳がクリーニングされたような気がします

ミュンヘンはどのようなところでしたか?

着いた初日にミュンヘン歌劇場へ「トスカ」を見にいったのですが、チケットは完売! 入り口でたくさんの人が“チケット買います”と書いた紙を持って立っているのを見て、とっさに真似して立っていると、1人の女性が「あなた! 学生でしょ?」と無料でチケットをくださいました。このようなことが度々あり、ドイツは学生に優しい素晴らしい環境だと肌で感じました。また、音楽が身近に日常にあるのだということをいつも強く感じていました。

印象に残っているエピソードはありますか?

始めて郵便局へ行き、電気代を払おうとしたときに「ドイツ語ができないなら帰れ!」と言われて泣いたことは今でも忘れられません。少し慣れてきたら、毎日毎日ひたすら演奏会に出かけたり、ミュンヘンならではのビール生活をしたり(笑)、旅に出たり。本当に自由に楽しませていただきました。それと、ドイツにいる間に耳がクリーニングされたような気がします。

耳がクリーニング!?

基本的にヨーロッパではBGMというものが存在しません。鳥の声や、カフェでおしゃべりしている話し声がBGMだったり……。日本は、音があふれ過ぎている気がします。ドイツにいる間はどんどん耳がクリアになりました。演奏会に行っても、その余韻のまま自宅へ帰り寝床に就けるので、ずっと心に耳の感覚を残しておけます。

変わらない理由は変化を恐れるのではなく、
ありのままを受け入れているから

ウェン=シン・ヤン氏のレッスンを受けてみていかがでしたか?

最初から最後まで言われ続けたのは、右手の弓の圧力、発音、いかにきちんと最初から音を出すことにこだわるかということです。ヴィオラのライナー・モーク氏にカルテットのレッスンを受けたときにも同じことを言われました。これは帰国後、オーケストラでもソロでも非常に役立っています。特にベートーヴェンやブラームスなどのドイツものを弾くときに、格段に弾きやすくなりました。

では、ドイツと日本のオーケストラの違いについてどのように感じましたか?

ドイツのオーケストラ奏者は、緊張感の中にも自由な発想と自由な音楽、自分の音楽に対する意見があり、何よりそんな意志の中でも常にすべてが自然であることに気づかされました。これは音楽に限らず街並みに対してもいえることですが、ずっと変わらない理由は変化を恐れるのではなく、ありのままを受け入れているからだと思います。日本は良い意味でも悪い意味でも細かい部分によく気づき、そこを修正し改善していくことに長けていますよね。それがよく出れば、緻密な素晴らしいものが完成されると思います。

この海外研修は武田さんにとってどのような意味がありましたか?

今までの音楽人生において、また今後の音楽人生を過ごしていくうえでかけがえのないものになったのはいうまでもありません。たった1年でしたが、生活していくうえでも少しは強くなれたかなと思います。自分の意思をしっかり持って伝えていくということを、今後のオーケストラ生活でどんどん生かしていきたいです。そして時間と余裕ができたらまた、第二の故郷であるミュンヘンに、感覚を取り戻しに帰りたいですね。

※2014年5月時点の内容となります。
※本文中の人名表記はご本人の言葉に沿って一部敬称略、また登場人物の所属等はすべて当時のものです。