❝理想の音に近づく方法❞を
学ぶことができました。
- 氏名
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小池 郁江さん
- 所属楽団
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東京都交響楽団
- 楽器
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フルート
- 研修年度
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2010年度
- 研修先
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ミュンヘン/ドイツ
- 指導者
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ヘンリック・ヴィーゼ(バイエルン放送交響音楽楽団首席奏者)
その先生の下で、
もう一度勉強し直したいと思ったんです
この「海外研修制度」を知ったきっかけは?
アフィニス文化財団のことは、以前から知っていました。「アフィニス夏の音楽祭」にはこれまでに2回、参加させていただいていましたし。それに東京都交響楽団(都響)や他のオーケストラで活躍する先輩方の中にもこの海外研修制度を使って留学されていた方がいて、直接お話をお聞きする機会があったんです。それで「もし、留学を考えているのなら応募してみたら」と勧めていただいたことなどがきっかけになりました。
なぜ、留学したいと思ったのですか?
オーケストラに入って10年が経ち、その間に見えてきた自分自身の課題に集中的に取り組みたいと思っていたところに、素晴らしい先生との出会いがありました。その先生の下で、もう一度勉強し直したいと思ったんです。それに、本場・ヨーロッパのオーケストラやオペラなど、なるべく多くの演奏に触れてみたいという思いもありました。
留学先であるミュンヘンへ、実際に行ってみていかがでしたか。
以前、7~8年前にもミュンヘンを訪れたことがあったのですが、そのころと何も変わっていない街並みが懐かしかったですね。東京などのように、めまぐるしく街並みが変わっていくのとは対照的に、“変わらずそこにある”という感じがすてきだな、と思いました。でも、渡航にあたっては1つとても焦ったことが……。
と、いうと?
現地で勉強している日本人の紹介で事前にミュンヘンでの家が決まっていたのですが、渡航直前になってドイツ人の大家さんともめて「家は貸せない」と言われてしまい、大ピンチに陥りました。とうとう自分の手には負えなくなって、現地にいるドイツ語のできる友人に間に入ってもらい、なんとか賃貸させてもらえることに……。実際、その家を決めるまでにも、知り合いなどにいろいろと助けてもらいながら探していて。なかなか条件に合う物件に出会えず、最後にやっと見つかったアパートだったので、もめてしまったときは本当に焦りましたね。その友人には心から感謝しています。
日本との違いは、
特に生活面で痛いほど感じましたね
ミュンヘンでの生活は、順調なスタートを切れましたか?
ミュンヘンに到着した翌日には、渡航前から先生に頼まれていたオーケストラのエキストラの仕事が入っていて。時差ボケでぼーっとしていましたし、しかもドイツ語でのリハーサルについていけるのか心配で、緊張しながら練習場に向かいました。なんだか、訳の分からないままにミュンヘン生活が始まったという印象です(笑)。家は、入居が決まっていたアパートが空くまでに約2週間あったので、その間はミュンヘン音楽大学の寮に住んでいました。
どのように日々を過ごされていましたか?
私の場合、大学には入学せず完全なプライベートレッスンのみだったので、わりと自由に時間を使うことができました。渡航してから最初の1カ月は毎日、語学学校へ。その後は、その語学学校で知り合った先生のお宅にプライベートで週に2~3回通って、ドイツ語の勉強を続けました。それと並行して、ヘンリック・ヴィーゼ先生のご自宅でフルートのレッスンを週に1~2回ほど。特に私にとってすばらしい体験だったのは、ヴィーゼ先生の所属されているバイエルン放送交響楽団(バイエルン放送響)のリハーサルを毎回聴かせていただいたことですね。午前中はドイツ語のレッスン、午後はオーケストラのリハーサルを見学してその後はフルートのレッスン、夜は演奏会へ、というのが基本的な1日の流れでした。
実際にミュンヘンへ行ってみて、日本との違いを感じた点は。
日本との違いは、特に生活面で痛いほど感じましたね。スーパーのレジのおばさんはなんだかえらそうだし、電車は30分とか1時間遅れも当たり前だし……。正直なところ、日本人の常識で考えると「理不尽だ!」と感じることはたくさんありましたよ(笑)。たとえば、あちらの銀行に口座を開いたときのこと。後日、キャッシュカードが送られてきたのですが、なんと2枚送られてきて。どちらのカードにも“Ikue Koike”とは書いてあるけど口座は1つしか開いてないし、これはおかしいと思って銀行に行ったんです。それで事情を説明したら、窓口の人が「あ、ではこのカードは破棄します」と1枚取り上げられて、それでおしまい。明らかに向こうの手落ちなのに、「わざわざ来店した客に対して謝罪の一言もないのかー!?」と。あのときは腹が立ちましたね。日本では、絶対にこんなことはないですよね。
確かに、外国ならではかもしれませんね。
まあこれは一例で、ほかにもいろいろと……(笑)。でも、逆に人とのコミュニケーションの取り方に関しては「すてきだな」と感じることが多かったです。日本では“知らない人に話しかけてはいけません”と習うけれど、向こうでは街中や電車の中、レストランの中など、どこでも知らない人との会話が自然に成り立つんですよね。私自身は言葉への不安が常にあったので、自分から話しかけるというのはなかなか難しかったけれど……、でもいろいろな場面でいろいろな人に話しかけてもらえて。ときに話が難しすぎてついていけないこともありましたが(笑)、楽しい瞬間を過ごすことができました。
できない課題は1ヶ月でも2ヵ月でも
やり続ける厳しさがありました
指導者であるヘンリック・ヴィーゼ氏について。
私が師事したヘンリック・ヴィーゼ先生はまだ40歳とお若いですが、バイエルン放送響の首席に就任される前に10年ほど、バイエルン州立歌劇場の首席を務めておられました。ですからオペラについても大変詳しくて、レッスンでも度々オペラの話が出てきましたね。都響では、オペラを演奏できる機会は年に1~2回程度と少ないので、先生のお話は非常に興味深かったです。私の留学中にも、バイエルン州立歌劇場のピットに、急病の方の代わりとして先生が何度か入られたことがあります。シンフォニーオーケストラだけではなく、オペラで演奏される先生の音を聴けたのは感激でした。
レッスンを受けてみていかがでしたか。
ヴィーゼ先生は本当にやさしいお人柄で、怒られたことは一度もありません。でも妥協は一切なくて、できない課題はそれこそ1カ月でも2カ月でもやり続ける厳しさはありました。また、レッスンを受けるごとにその内容を要約してドイツ語のレポートにまとめ、翌日中にメールで送るという約束事があり、これは私にとって音楽的な面と語学的な面でたいへん鍛えられました。レッスンはいつも録音させていただいていたので、帰宅したらまずは録音を聴き直して先生の言葉をすべて書き取り、それをまた要約して……。この作業には途方もない時間がかかりました。最初の数カ月は、レッスンの度に徹夜でレポートを書く生活をしていましたね。そしてやっとの思いで仕上げたレポートを送ると、早いときは20~30分で先生から添削されたものが戻ってくるんです。それを見て自分の語学力のなさ、というか文法力のなさにいつもへこんでいました(苦笑)。
とにかくヴィーゼ先生の音色にあこがれて、
なんとか先生の音に近づきたいと思って
海外研修を経て、つかんだ手応えとは。
私の一番の課題はフルートの音色でしたが、とにかくヴィーゼ先生の音色にあこがれて、なんとか先生の音に近づきたいと思って勉強してきました。率直にいえば、1年間で自分自身の音色が劇的に変化した、ということはありません。ただ、レッスンで音色の訓練を受けたり、先生の音を日常的に間近で聴けたことで、“理想の音に近づく方法”は学ぶことができました。この先も海外研修中に学んできたことを生かして精進し続けることで、より「留学期間が充実したものだった」と思えるような気がします。
小池さんにとって、この海外研修はどのような経験になりましたか?
オケに入ってからは仕事の忙しさから自分の時間も少なくなり、学生時代のように行きたい演奏会へ自由に足を運ぶということもできなくなっていました。でも、ミュンヘンで過ごした1年間は数え切れないほどたくさんの演奏会を聴くことができ、そういう意味でも幸せな時間を過ごすことができました。特に、日本で鑑賞するには時間的にも金銭的にも厳しいオペラを日常的に鑑賞できる環境にあったのは、本当に贅沢でしたね。帰国して約半年が経ちましたが、いまだオケの仲間に留学中の話をする機会も多く、改めて「充実した期間を過ごしていたんだな」と感じています。この先、海外研修を考える仲間がいれば、ぜひそのすばらしさを伝えていきたいですね。
※2012年4月時点の内容となります。
※本文中の人名表記はご本人の言葉に沿って一部敬称略、また登場人物の所属等はすべて当時のものです。